部屋の隅の気持ち。


1. 回想

わたしは、部屋の一番奥の片隅のクローゼットの前に立っていた。
開かれたクローゼットの中のドレスをぼんやり見ていた。
ただひとつのドレスを除き、
1度も袖を通されたことのないドレスが、1着・1着キレイにかけられていた・・・。
やわらかいレースのドレス・・・オーガンジーのふんわりしたドレス・・・
細身のシルクサテンの光沢のあるドレス・・・赤・青・黄色・ピンク・水色・・・。
サファイア・ルビー・パール・ターコイズ・ダイア・ゴールド・プラチナ・・・・・・。

「フフ・・・ばあやったら、あの時よりまた数が増えているではないか・・・」

わたしはどうしたいのだろう・・・。
女としての幸せ・・・。

男としての世界で、引けを取らないよう、
イヤそれ以上に立派な軍人として生きていく。
父が生まれたときに定めた以上に、
わたしの中で、それは当たり前となっていた。
生きがいであった・・・。

わたしの女としての気持ちはどんなときに揺れた?。

フェルゼンに気持ちが向いた時。

アンドレがわたしを愛していると言った時。

わたしを好きだといっていたロザリーがベルナールと一緒になった時・・・。

ジェローデルが、最初から女性として見ていたと言った時。

そして昨日、結婚を控え美しくなったディアンヌを見た時・・・。

「幸せか・・・わからない・・・」

フェルゼンのためにドレスをまとった時、
わたしは、こんなに悩んだであろうか・・・?
あの時、わたしは、なにを望んでいたのであろう。
ドレスを着て、その後どうしたかったのであろう・・・。
あのときは、ただ、女としてフェルゼンの前にたたずめただけで満足であった。
フェルゼンとダンスして・・・フェルゼンがわたしを語った。
それだけで、満足だった。あきらめられると思った。
その後のフェルゼンとの女としての生活など、想像もしていなかった・・・。
フフ・・・そんなもの望んでいなかったのかもしれないな。
あの時は、苦しくて苦しくて・・・。
しかし、いまは、麻疹が治ったみたいに、忘れ去られている胸の痛み・・・。
少しだけ、麻疹のカサブタが傷になって残っているが・・・まったく痛くない。

アンドレがわたしを求めた時・・・。
こわかった・・・。心底、恐怖を感じた・・・。
恋愛がこんなに現実味を帯びてわたしに迫ってきたことはなかった・・・。
今でも、その瞬間を覚えている・・・。
思い出すと背筋に緊張が走る・・・。

’現実の恋愛・・・???’

ロザリーが生涯の伴侶としてベルナールを選んだ時。
ちょっぴりさみしかったな・・・。
フフフ・・・置いていかれるような気さえした。
あの時、ロザリーは憧れの恋を卒業したのだな。

’憧れの恋・・・???’

ああ・・・わたしのフェルゼンに対する気持ちも、コレだったのかもしれないな。
先のことなど、まったく考えていなかった。。。
その時の気持ちに、ボーーーーーーっとなっていた。
かなえられない’想い’。。。それだけに苦しんでいた。
まったく現実味を帯びずに・・・。

今は・・・。
父上が女性にもどれと言う。
ジェローデルの求婚・・・。
ディアンヌの結婚。
現実として、女性の幸せを考えることを突きつけられた。
それを手にすると、もう、後には戻れない。
自分の信ずる道を思うがままに進む幸せ・・・。
これを失うことになる。
女の幸せとは、自由と引き換えるものなのか・・・??????

ああ・・・誰か教えてくれ・・・話がしたい。
誰か、わたしの迷いを聞いてくれ・・・。

脳裏に浮かぶあいつの顔。
なんでも話し合えた、なんでも聞いてくれた。
なのに、この気持ちだけは相談できないのだ・・・。
いや、現状では、たわいない話もできなくなっている。
あいつは、このところわたしを避けている。

あいつはあの時の誓いを守って、わたしに恋愛をぶつけてこない。
わたしはそれをいいことに、あいつの優しさを手放せないでいる。
あの時の恐怖を忘れてなんかいない・・・。
あの時のあいつから発せられた想いの熱を忘れてはいない。
あの後もそばにいると、ときどきあいつの体からあの熱が伝わってくる。
でも、あいつはそれ以上のそぶりは決して見せない。
わたしは、あいつから発せられる熱だけを感じる。
想いの熱・・・。あいつのそれを感じるのはぜんぜん嫌ではない。
それどころか、時々癒されたりもする。
わたしはズルイのか?

わからない。
さみしい。
苦しい・・。

あいつは、今なにをしているのだろう・・・。

最近、勤務以外では、顔を合わさない。
今日は、休暇だというのに、朝から姿を見ない。

夜はジェローデルを迎えての晩餐が続き、
最後にゆっくり2人で語ったのは、いつだったろう・・・。
新しい税のことを話したのが最後だったかな。
まったく、色気もなにもあったもんじゃないな・・・ハハっ。

なぜだか、涙が出てきた・・・。
何でもいい・・・あいつの声が聞きたかった。
でも、今は、それを求めることすら許されないような気がした。

何かで、気を紛らわせたかった・・・。
わたしは、クローゼットから1枚のドレスを掴み取り、
大きいトランクに詰め込んだ。



2. 主従

気を紛らわせたい。
「あの頃のアントワネット様も、こんなお気持ちだったのかな・・・」
トランクをもってオスカルは小さくつぶやき、苦笑いをした。

ジェローデルを迎えた晩餐からも逃げ出したかった。
ジェローデルに一瞬でも唇を許してしまった自分・・・。
そのとき浮かんだジェローデルとは違う顔・・・・・・・。
一番見慣れた懐かしい顔・・・。
ココロはザワザワと混乱する。

アタマでは、男の世界で生きていくことだけを望んでいたが、
だんだん女のココロが膨らんでいることを自分でも自覚し始めていた。
タダ漠然と・・・それは、存在感を強くしてきているようだった。
でも、それがナニを求めているのかわからない。

自分の部屋を出て、近くにいる侍女に告げた。
「いそいでパリへ出たい。馬車の用意と御者の手配を頼む。」
「あ・・・あのオスカル様、アンドレは昨晩から姿が見えなくって・・・」
急な予定の時、それは、必ずといっていいほど、アンドレの役目であった。
侍女は、当然のようにオスカルの要求がアンドレになされたものであると考えた。
『昨晩・・・?今朝からではないのか・・・?!』オスカルの心に小さな棘が刺さったが、
なんともないように言った。
「誰でもよい、手のあいているものを、よこしてくれ、なるべく質素な馬車を頼む」


オスカルは、忘れ物に気づいた。
一旦部屋に戻り、トランクを開け、コルセット・靴・イヤリング・髪飾り・・・
ドレスを着るのに必要な品々を適当に詰め込んだ。
トランクを閉めた瞬間、ばあやが飛び込んできた。
さっきの侍女からわたしのことを聞いたのであろう。
「お嬢様!パリへ出かけられるのですか?もうまもなく夕刻ですよ・・・!」
「ちょっとした用事を思い出した。すぐ戻る」
そういうと、また部屋を出た。
「お・・・お待ちください」
ばあやは追いかけながら必死で声を上げた。
「アンドレ・・・!アンドレ!!!どこにおいでだい!」
返事はなかった。ばあや自身アンドレが昨晩からいないことには気づいていたが、
叫ばずにはいられなかった。
「あの役立たずは・・・!いったいドコでなにをしているのか・・・!」
オスカルも、呼ばれたアンドレが駆け寄ることを少し期待していた。
いまから自分がしようとしていることを、止めて欲しかったのかもしれない。
アンドレなら力ずくで止めてくれると思っていた。

でも、彼はいない・・・。

ジェローデルがこの屋敷に通うようになって、アンドレは外出することが増えた。
もちろん、決められた屋敷での仕事はちゃんとこなしていた。
しかしそれ以外は、たいていオスカルの相手をしていたわけであり、
そのオスカルが求婚者と時間を過ごさなければならなくなった今、
彼の自由時間は急に増え、
彼の行動はオスカルが把握できないものとなっていた。
こんなことは、初めてであった。

馬車はクロードが用意していた。
クロードはアンドレと年が近く、
よく2人がつるんで、楽しそうにしゃべっているところをオスカルは見かけていた。
侍女たちの浮ついた噂話にもこの2人はよく名前がでているようだった。
侍女たちの評価を聞くと、それはアンドレのものと同様、
誠実できっちり仕事をこなすタイプで高い採点であった。

「オスカル様、どちらにまいられますか?」
オスカルは、ばあやに知られないようにさっとメモを渡す。
「ここまで連れて行ってくれ。。。急にすまぬな・・・」
それだけ言うと、サッと馬車に乗り込んでしまった。
「クロード、どちらにお連れするんだい?」
ばあやがいいかけると、
「早く出してくれ・・・!」
強い語調でオスカルの指示が飛ぶ。
馬車は、心配そうなばあやをのこして出発した。

パリの一角で馬車はとまった。
太陽はまもなく沈もうとしている。
「クロード、ここでいい。馬車を置いて、お前は辻馬車をひろって帰ってくれ。」
クロードがいぶかしげにオスカルの顔を見つめる。
主人のいうことに意見したものかどうかためらいながら・・・。
それを感じたオスカルは「何か?」
「あの・・・。申し上げにくいのですが、
 先日、アンドレに頼まれたことがございまして・・・。
 オスカル様のおそばを離れないように・・・と」
「はぁ?!」おもわず語気をあげて聞き返す。
「アンドレが今までのようにオスカル様のともが出来ない時は、
 自分が必ずついていくよう頼まれました。」
「・・・・・」オスカルは一瞬言葉を呑んだ。
アンドレが、自分のことを気にかけて、信用できる相手に頼んでくれている・・・という想いと、
その役目を他の人間(男)にまかせてしまっている・・・という、事実で、
アタマが混乱した。
「そして、必ず最後までともをするように・・・と、一人で行動させるなと・・・」
そこまで聞いて、さえぎるように言い放った。
「わたしが帰れというのだ。主人はわたしだ。」
言ってしまい、スグに大きな後悔におそわれた。
主従関係を振りかざしたことを・・・。
しかもクロードは主人にたてついているわけではない。
アンドレとの男の約束を守ろうとしているのである。
オスカルもこのようなことを頼まれたことがあったことを思い出した。
そう、フェルゼンに・・・。
『たのむ・・・わたしのぶんもアントワネット様をまもってさしあげてくれ』
その時のフェルゼンの気持ち・・・今のアンドレの気持ち・・・。
ますますココロが混乱する・・・。

クロードはアンドレとは違う。
オスカルと言いあいなど出来るはずもない。
一礼をして帰っていくクロードをちょっと後ろめたく見送った。

オスカルは不完全燃焼であった。
もっと手ごたえのあるやりとりがしたかった。
ココロの混乱で荒くなった言葉をもっとぶつけたかった。
それにたいして、何か言ってもらいたかった。
・・・・・・・アンドレの存在のありがたさを思い知らされるだけであった。

馬車をとめた家のドアをたたく。
「まぁ・・・オスカル様・・・!」
春風のような微笑がオスカルを迎えた。
ほんの少しだけ、ココロが軽くなったような気がした。
「いったいどうなさったのですか?とにかくお入りください。
 こんなところですが・・・」
「突然すまない・・・ロザリー・・・久しぶりだな」
ロザリーはただただ懐かしそうに腕に絡みつく。
あいさつもそこそこに手を引かれて居間に通された。
華美な装飾品は一切ないが、かわいらしい、落ち着いた品々が、
ひっそりと置いてあって、とても安らかな空間であった。
「ベルナールは?」
「隣の部屋で、原稿を書いています。ちょっとまっててくださいね。
 呼んで参ります。」
「い・・・いや、仕事の邪魔はよくない・・・それに、お前に頼みがあるのだ。」
「まぁ・・・わたくしに?できることならなんでもさせていただきますわ!」
嬉しそうに微笑むロザリー。
オスカルがトランクを指差し言った。
「あれに着替えたいのだ。手伝ってくれ。」


3. 仮装舞踏会

「オ・・・オスカル様・・・これは・・・!!!」
トランクを開けると、
それでなくても大きいロザリーの瞳が、飛び出さんばかりに見開かれた。
「・・・仮装舞踏会に行こうとおもう。着替えを手伝ってくれ」
少し視線をはずしながら、オスカルがいう。
ロザリーは、オスカルのドレス姿が見られるという興奮と、
どうしてそんな心境になったのかで、複雑な表情をする。
「オスカル様、お一人でですか?アンドレは・・・??」
その問いにオスカルは答えず、
「馬車を使えるものを一人紹介してくれないか? 
 なに、雰囲気を味わったらスグ帰ってくる。
 そんなに時間はとらせない」
居間の入り口からいつのまにか2人のやり取りを見ていたベルナールの声がした。
「ジャルジェ准将、俺がともをしよう」
オスカルとロザリーはびっくりして振り向く。
「ああ・・・ベルナール、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
「久しぶり・・・それより、どういった心境の変化だ?なにかあったのか?」
「いや別に・・・たまには。。。な。
 しかし、ロザリーの大切な旦那を借りるわけにはいかんだろう。
 誰か紹介してもらえないか?」
ロザリーもベルナールも舞踏会に行く理由を詮索するのはやめた。
「フフフ・・・オスカル様になら、のしつけてお貸しいたしますわ。
 でも、ベルナール何着ていけばいいかしら・・・」
「俺の服で舞踏会に通用するっていったら、あれしかないだろう!」
3人ともピンっときて、大笑いした。
「ドコにしまったかわからない。ロザリー出してくれ」
そういうと、オスカルを居間に残し、2人が別の部屋に移っていた。

「彼女の着付けにはどれくらい時間がかかる?」
「一時間はかかるとおもうわ」
「そうか・・・できるだけゆっくりしてくれ。
 その間におれはジャルジェ邸へ行って、アンドレに知らせてこようとおもう」
「まぁ・・・あなた・・・!わたしもそれがいいとおもうわ。
 ぜひそうして頂戴!」
2人とも、オスカルの突拍子もない申し出を不思議に思ったし、
様子がおかしいことは十分わかっていた。
なによりも、アンドレがそばにいないことが、それを決定付けた。

オスカルの着付けがはじまった。
出来るだけ地味なドレスを持ってきたつもりだった。
パールで編まれたネックが、肩口まであいた襟ぐりをカバーしており、
露出は極力抑えられていた。
袖も肩のところでほんの少し膨らんでいるだけで、
あとは、すんなりとしたラインをひくオーガンジーですっきりとしていた。
モスグリーンでAラインのとてもシンプルだがステキなドレスだった。
要所・要所にパールと金糸・銀糸で刺繍が施されていた。
『フフ・・・ばあやの趣味か?
 「お嬢様に軽々しいカッコなんてさせられません」・・・といった声が
 聞こえてきそうだな・・・』
今回は、誰のために着るわけでもないが、
すこしずつ芽生えてきた女のココロが知らず知らずのうちに、
だんだん女の姿になる自分を喜んでいる・・・。
「オスカル様・・・凝った御髪は結えませんが・・・」
残念そうにロザリーが言う。
「高くまとめてくれるだけでよいよ。ありがとうロザリー。」
ドアをノックする音が聞こえた。
「ロザリーちょっと・・・」
ベルナールが戸を開けずに呼んだ。
「オスカル様、ちょっとお待ちくださいね」
そういって出て行った。


「ダメだ・・・アンドレのヤツ、屋敷にいなかったぞ」
「もう・・・なにしているのかしら・・・」
「どこにいるか聞いても、わからないらしい。
 クロードってやつが探しにいっているみたいだが・・・。
 それはそうと、オスカル・フランソワに結婚の話がでているそうだ」
「えっ?」
ロザリーは非常に驚いたが、全てを納得したような気がした。
「いったいどなたなの?」
「ジェローデルとかいう、伯爵だそうだ・・・」
この名前は、ロザリーも聞いたことがある。
オスカルが近衛隊にいたころ、耳にした名前だ。
「・・・で、その求婚者も屋敷に来ていて、彼女がいないので、エライ騒ぎだった!」
「うちにいらっしゃることを言わなかったでしょうね?」
「もちろん言ってないさ・・・!」
「クロードってやつもいってなかったみたいだぞ、
 どうやら彼がうちまでジャルジェ准将のともをしてきたみたいだ。
 ・・・で、パリのどこかで帰されたといって、スグ、アンドレを探しに行ったらしい」
「じゃぁ、見つかったらここへ来れるわね・・・」
「ああ・・・とにかくそれまでは、俺が付き添うよ・・・あの2人には大きな借りがあるからな」
そういって、愛する妻の額に口付けした。

ロザリーがウットリと見つめる。
「オスカル様・・・お綺麗です・・・。」
ロザリーはオスカルのドレス姿を見るのが初めてであった。
オダリスク風のドレスを着たときよりも、かわいらしい雰囲気に仕上がっていた。
これは、ロザリーのセンスのせいなのか・・・それとも・・・。

『ロザリーは、あの頃、真剣にオスカル様をお慕いしておりました。
 でもこのお姿を見て、ハッキリと知ることが出来ます。
 オスカル様は、紛れも無く女性なのだと・・・。ドレスだけのせいでしょうか?』

「ジャルジェ准将・・したくは出来たか?」
美しい姫は、一瞬、ドキッとした。
一番会いたくて、なぜだか合わす顔のないひとにそっくりのシルエットがたっていた。
黒い騎士の姿をしたベルナールは、アンドレに本当に似ていた。
アンドレの方がもう少し背が高く、髪が長かった。
それに声が違う・・・。アンドレの方がやさしく響く。
『フ・・・これは贔屓目か?』
アンドレでないとわかっていても、また彼女のココロはザワザワしはじめる・・・。
その様子をロザリーは、考え深げな瞳で見つめる。
自分の夫を通して、オスカルが誰の姿を見ているか容易に想像できた。

外はすっかり夕闇に包まれていた。
「オスカル様、お気をつけて・・・」
「すまないロザリー、少しだけおまえのご亭主をお借りするよ・・・」
ロザリーが馬車のドアを閉める。

外で、ロザリーとベルナールの話し声が聞こえる。
わたしは、なにをしているのだ・・・。
ひとりになると、自分がなんて滑稽なんだろう・・・とおもわれてくる。
自分の気持ちが見えず、他人を巻き込んでのバカな行為。
だんだん情けなくなってきた。
でも、こうせずにはいられなかった。
少しだけ、女性を楽しんでみたかった。
ほんとうに楽しいのか、試してみたかった。
いや・・・ただ気を紛らわせれば、なんでもよかったのか・・・。
しばらくぼんやり考えていた。
なかなか馬車が出ない。
「ロザリー?」
馬車の窓から顔を出す。その時、御者台にあがる黒い騎士の姿が見えた。
「あ・・・オスカル様申し訳ゴザイマセン。
 今出ます。どうかムチャはなさいませんように」
滑り出すように馬車が動き出した。
バカだとはおもうが、少しだけ舞踏会に向かうシンデレラのような気分になっていた。


4. 悲しいダンス

馬車が止った。舞踏会会場についのだ。
仮装舞踏会だけあって、怪しげな雰囲気はいなめない・・・。
パリの街の中心から少しだけ離れた場所に、その館はあった。
夜しか開かれない門。
ともされた明かりがあやしく城壁を照らしている。
そのために作られた建物だけあって、妖艶たるムードをただよわせている。
やっぱりバカだったかな・・・と自嘲気味に思いながら、
あけられた馬車のドアからステップに足を下ろした。
裾がまとわりつき、視線は足元に集中した。
「ベルナール悪いな・・・ちょっと手を貸してくれ・・・」
差し出された手に自分の手を置いた。
ちょっとひんやりしていた手・・・。
秋もだんだん深まり、御者台で風を受けていたのだから・・・悪いことをしたな・・・。
そのとき、置いた手をぐっとつかまれ、体はフワッとひきおろされた。
「?!」遠慮のない行為に驚いた。
そして、その手の感触に、相手がベルナールでないことを悟った。
その手は、よく知っている手であった。
触れただけで、誰だかわかる手・・・・。
あわてて顔を上げ、その手の持ち主を見た。

「ア・・ンドレ」

自分の顔が真っ赤になるのがわかった。
黒い騎士の衣装を身につけたアンドレがいた。
黒い衣装は、みなれた男を数段魅力的にしていた。
自分の滑稽な行動がバレた・・・恥ずかしかった。
いつもおだやかなアンドレの顔は無表情だった。
怒りを通り越した時に見せる表情。
何も言わなかった。
わたしのドレス姿を見ても・・・。
わたしは、今回のこの行動を激しく後悔した。
アンドレが仮面を差し出す。わたしはそれを自分でつける。
あいつもつけた・・・。
表情を見なくて、また見られなくて済むようになりちょっとホッとした。
「アンドレ・・・あの・・・な・・・」
こっちを見ようともしない・・・。怒っている・・・?。あきれている・・・?。
あいつは無言で舞踏会会場の入り口までわたしを連れて行った。

会場は、いろいろな身分のものたちであふれていた。
品がないかわりに、すごい熱気であった。
「ほう・・・見てご覧よ・・・綺麗なカップルだねぇ・・・」
「御伽噺から出てきたみたいじゃないか・・・」
仮装舞踏会だけあって、少し前に世間を賑わした、
黒い騎士の姿をしているものが、数人いた。
そのなかで、長身の男は群を抜いてきまっていた。
(なにしろ衣装は本物で、中身も酷似しているのだから・・・)
そして、よりそう姫は、黒い騎士に宝石と一緒に盗まれたのか、
はたまた彼女自身の心を奪われたのか・・・、
いろいろとストーリーをたてたくなるような美しさである。
「仮面をつけているのが残念ですわ・・・ああ、もったいない」
会場の目ざとい客は2人の姿を口々に評論した。

アンドレは、ホールに入るや否や、わたしの手を離した。
わたしを、ダンスの波に置き去りにして、
自分は下がり、腕を組んで壁に寄りかかった。
わたしのココロはまた乱れた。
しかしそんな感情を表すまもなく、
次々にダンスの申し込みが入り、わたしは頭が真っ白なまま、
どこの誰ともわからない男たちとダンスを踊った。
ターンをするたびに、壁の花となったアンドレが目の端に映る。
何人もの女性が彼にいいよっている。
彼は無視し続けていた。
しかし、しぶとくせがむ女に、腕を絡めとられ、
強引に踊りの輪に引きずり出された。
アンドレが踊っている・・・。
わたしは、何をしているのだ。
考えがまとまらない・・・。
リズムに合わせて、勝手に足がステップを踏む。
知らない男に腕を取られて・・・導かれて・・・。
これが、女性の楽しみか?幸せか??ハハ・・・まさか!
正真正銘の女であっても、こんな所で楽しむ人間にはなりたくなかった。
むなしくなってきた。

ハッと気づくと、背中が冷たいものに押し付けられ、
ステップを踏む足がとまった。
わたしは、ホールのどこにいるのか一瞬わからなかった。
注意を現実に向けると、そこが奥まった柱の陰であるということがわかった。
相手の男に、ホールからの死角につれこまれたのである。
首の回る範囲にアンドレの姿を見つけることができない。
『しまった』
別に、男を振り切るくらいなんでもないことだと思ったので、
あせりはしなかったが、自分の不注意が情けなかった。
男の顔が近づいてきたので、蹴りを入れようとした瞬間、
’バっ・・・!’と相手の男が引き剥がされた。
そして次の瞬間、黒い影がわたしの前に背中を向け立ちはだかった。
黒い影越しに、さっきの男が尻餅をついているのが見えた。
「な・・・なにをする・・・!」
「これは俺の女だ」
低く、低く・・・怒りを極限まで抑えて響いた。
今日1日、ずっと聞きたかった声、
『俺の女?』啖呵を切るための言葉だとわかっていても胸がドキドキしだした。
さっきまで、なんともなかったのに。
ちょっと青ざめた男は、
「けっ、そんなに大事なら縄でもつけとくんだなっ!」
・・・といって、サッサと去っていった。

「アンドレ・・・ありがとう・・・すまなかったな」
今日のわたしは、あやまってばっかりだ。
「・・・・・・・・・・・」
アンドレの手がわたしの手をとり、音楽にあわせてステップを踏み出した。
急に機嫌が直ったのか?
いや、あいつからはあいかわらず冷たい空気が漂っている・・・。
アンドレに導かれるままステップを踏む。
仮面の下は相変わらずの無表情・・・。
直接見なくても、間違いなくそうだとわかる。
悲しい・・・悲しいダンス・・・。
あいつの微笑がない。
あいつのやわらかい言葉がない。
あいつの優しい気持ちが伝わってこない・・・!。
今日一緒に踊った誰よりも、
思いを寄せたフェルゼンとのダンスよりも、
軽やかに導かれ、安心できるリードなのに。
わたしの動きどころか、呼吸の仕方まで知り尽くしているようなエスコート。
巧みに人を掻き分け、踊り続ける・・・。

アンドレのステップが普通の歩調になった。
ホールの出口が見えた。
さっきのダンスは、ホールを一直線に出口に向かって、
突っ切るためのものだったと気づく。
出来るだけ早く、この場を去ろうとしているのだ。
ホール出口ではじめてわたしに口を開いた。
「もう、気が済んだろ、帰るぞ」
腕を取り、ズンズン廊下を歩く。
ドレスになれないわたしは、途中で躓き転びそうになった。
アンドレはそれをサッとすくい上げ、わたしは抱きかかえられた。
それでも、歩調はゆるまず、どんどん歩く。
抱き上げられ、一瞬ボォっとなったが、
彼の髪の毛から漂う安っぽい香水の香りが鼻を突き、
わたしのココロはまた乱れてきた。

馬車まで来て、乗車席に投げるように放り込まれた。
そして自分の仮面を剥ぎ、わたしの足元に投げつけた。
「いったいどういうつもりなんだ!
 そんなにドレスが着たけりゃ、花嫁修業でもするんだな。
 こんなところに出入りするくらいなら、ジェローデルの花嫁の方がよっぽどマシだ!」
彼は吐き捨てるように言った。
その顔は怒りに満ちていた。
「こんないかがわしいところで・・・!」
それを聞いて、わたしもプッツンきた。
「ほう。お前はどうなんだ。 
 昨晩からどこにいたのだ!
 男ならいかがわしいところへ出入りしてもかまわないのかっ」
アンドレの顔色が変わった。
「俺は誰にも迷惑をかけていない!」
「わたしは、別にお前に来るよう頼んでなんかいないっ!」
「うるさい!だまれっ!」
’バンっ!’
馬車のドアが閉められた。荒々しく馬車が動き出す。
わたしは、怒りで握った手が震えていた。
外へ飛び出して、あいつにつかみかかって殴ってやろうか・・・と思ったが、
この姿では、それもままならない。
魔法が切れたみじめなシンデレラの気分だった。




5. 帰路  

『うるさい!だまれっ!』
・・・子供のけんかじゃあるまいし・・・。
夫婦喧嘩の様でもあるな・・・。
馬車に揺られ、さっきのやりとりを思い返すとおかしくなってきた。
すこしづつ、アタマが冷えてきた。
久しぶりに2人でかわした会話があれか・・・。
馬車を降りたら、素直にあやまろう・・・そして・・・。

馬車が止った。
扉が開かれ、すこし落ち着いた声で、アンドレがささやく。
「さあ降りろ・・・」
手をとり、静かに降ろしてくれた。
馬車の音を聞きつけ、ロザリーとベルナールが家から出てきた。
「オスカル様・・・。お疲れになったでしょう・・・御召しかえを」
ロザリーがやさしく接してくれる。
「アンドレも着替えて一服して帰ればいい」
ベルナールが場を明るくしようと声をかける。
わたしは、素直にあやまろうとアンドレの顔見つめた。
その時、
「いや、俺は乗ってきた馬で先に帰るよ。
 オスカルの迎えは、ジャルジェ家の使いのものに頼んでおく」
わたしは、まだ、アンドレがわたしを避けようとしているのを知り、
少しショックを受けた。

「アンドレ、お前の馬は俺がつれて帰るよ・・・
 オスカル様と一緒に帰ってくればいい・・・。」
ロザリーとベルナールの後方から声がした。
クロードだった。
心配したクロードは、アンドレの後を追って、ここまできていたのだ。
誠実なクロードは自分がやりかけた仕事、
そして男の約束が最後まで果たせなかったので、気になっていたのだろう。
アンドレは手を軽く振りながら、
「クロードありがとう、でも、お前、乗馬は苦手だろ?
 やはり俺が乗って帰るから、馬車を頼むよ・・・」
わたしの押し付け合いをしているのを見て、
またもや、プッツン切れた。
「アンドレ、クロード。心配は無用だ。馬車はわたしが御して帰る。
 お前たちは2人とも先に帰っていいぞ」

この言葉を聞いて、クロードは自分がアンドレの馬をひいて帰ることを確信した。
「こういいだされたら、オスカル様はおまえでないとお連れできないよ。
 ・・・じゃあな。」
ニっと笑って、アンドレに耳打ちし、先に帰っていった。

ベルナールに肩を叩かれ、アンドレがシャトレ家に入っていった。
わたしもロザリーに付き添われて家に入った。

ドレスを脱ぐ間、わたしは何もしゃべらなかった。
隣の部屋からは、男2人がなにか低い声で喋っている様子が聞こえもれた。

髪の毛を下ろし、ロザリーが梳かしてくれた。
カガミにうつるわたしの顔覗きながら、なにかいいたげであった。
「どうかしたか?何も聞かないんだな・・・」
わたしが切り出した。
「オスカル様・・・ドレスがまた着たくなったら、
 いつでもお越しくださいね・・・」
わたしは、涙がほほを伝わるのを感じた。
声はたたなかった、なぜだか涙だけあふれてきた。
そんなわたしを、ロザリーはやさしく胸にだいてくれた。
「わたしは、わからないんだ・・・。
 急に女の幸せを選ぶよう押し付けられて・・・
 でも、わたしが本当に欲しい幸せは・・・」
漠然としていて、言葉にできない・・・。
女のココロの存在は無視できなくなってきているが、
型にはまった女の幸せはいらないのである。
「答えがでたら、お聞かせくださいませね。
 いつまでも待っています。」
ロザリーがやさしくいった。
その語り口調は、
わたしがいつか出す答えを、知っているような気さえした。

ベルナールとロザリーに別れを告げ、馬車に向かった。
アンドレは乗車席に乗るよう、扉を開いたが、
わたしは、御者台に飛び乗った。
ため息とともにアンドレも御者台にあがった。
見送るシャトレ夫妻は少し笑みを浮かべやれやれといった表情である。
お礼をもう一度言って、アンドレが手綱を振るった。

暗闇の中へ馬車が消えていった。
「あの調子だと大丈夫そうね・・・。」
ロザリーがつぶやいた。
「・・・だといいんだが・・・」
「ベルナール?」
「アンドレはそうとう思いつめているぞ・・・」
ベルナールはアンドレと交わした話の内容をかいつまんでロザリーにはなした。

≪もう、限界かもしれない・・・≫アンドレは口元だけ笑って言った。

「その時、ほんの少し、あいつの瞳の奥に狂気の炎がともったように感じたんだ・・・」
「ま・・・まさか・・・」
「うん・・・気のせいだと思うんだけど・・・」
 
御者台の上の2人は、なにも喋らなかった。
狭いスペースで、馬車が揺れるたびに肩が触れた。
オスカルは、アンドレの声を聞けなくてもとても満足だった。
2人で静かな時間を過ごせるだけで・・・。
・・・アンドレは・・・?
冬にはもう少しあるが、日がとっぷりと暮れ、
薄手のコートでは、少し寒い気がした。
オスカルは、誰も見ていないときときどきするように、
アンドレにそっともたれかかった。
アンドレは何かに耐えるように、ジッとそれを受け止めた。


− − −

アンドレは部屋の奥のすみの戸棚の前にたたずんでいた。
その一番上の端の奥に、小さな黒い小瓶があった。
手にとってゆっくり振ると中で白い粉がサラサラ動いた。
時間を刻まない砂時計のようであった。
彼はそれを、じっとみつめていた。


終わり。

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アンドレが、毒入りワインをオスカルに持っていく前の日くらいのつもりで書きました。
オスカルは、アンドレに愛されているのを重々承知ですが、
アンドレが’死’を考えるほど、追い詰められていることはわかっていない・・・。
そんな様子を書いてみました。
オスカルはオスカルで、急に女にもどれといわれて、
自分の気持ちを整理できなくて苦しんでいたので、
仕方ないのかな・・・と、思います。
もともとアンドレの想いにおもいっきり甘えていたオスカルだし・・・。
ホント、アンドレは、思いが通じたあの日まで、
生殺し状態でよく頑張った!!!・・・と思います。
アンドレの視点では、今回のこの場面、つらすぎて、書けマしぇン~(TOT)。

とっても余談ですが、原作中のアンドレのコスチューム(?)で、
一番好きなのが、黒い騎士のカッコをした、アンドレです。
毒ワインのイッチョウラよりも、断然カッコいいと思いますです。(笑)
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アンドレの視点で書けなかったわたくしのこの作品に、
torishさまが、アンドレバージョンを書いてくださいました!

torishさま作<アンドレバージョン>『部屋の隅の気持ち』はコチラから。


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